■要約文学習法で一生役に立つ国語力を身につけよう。
こちらのことばが相手にちゃんと伝わっているか。
友人と食事に行ったときによく感じることがあります。
彼は小さな語学学校を経営している経営者、私は一介の教員。
最近はもつ鍋屋に行くことが多いのですが、彼が注文したものは、
その注文が店員に伝わっていないことが多いのです。
でも本人は注文したつもりになっています。
そこで、わたしが「今の注文は伝わっていないよ」と教えてあげます。
すると「よくわかりますね」といわれるのですが、
なんといっても相手にこちらのことばが通じているかどうかという仕事を
30年近くやっていますからね。
こちらの声の出し方、相手の反応、そんなもので自然とわかるものです。
こんなところにも職業病がでてしまいます。
テレビのテロップに誤字を見つけたり、道を歩いていて看板の誤字に気づいたり
するのはしょっちゅうです。
(最近でいえば、YouTubeのテロップに誤字が多くみられます。)
「本物の国語力」とは「要約力」のことである
私が一冊目の本を書くとき、企画書を見た編集長が言いました。
この『本物の国語力』って何ですか?
そのとき、どう答えたか記憶にありませんが、私は「要約力」が「本物の国語力」の
大元にあると思っているので、次のようなことを言ったのではないかと推測します。
私たちはふだん、相手が発する話しことばや書きことばを、まず重要度にしたがって
聞き分けたり読み分けたりします。
次に、重要だと判断した内容を頭でまとめて、今度は自分なりの話しことばや
書きことばにして発出します。
これがうまくできる人が「本物の国語力」をもつ人だと言えると、考えています。
つまり、書き言葉にしぼって順に示すとつぎのようになります。
1 書かれていることばをまず重要度にしたがって読み分ける。
2 重要だと判断した内容を頭でまとめる。
3 それを自分なりの書きことばにして発出する。
これはまさに要約の作業そのものですよね。
これができる人が「本物の国語力」を持つ人なのです。
要約文学習法で一生役に立つ国語力を身につけよう。
ここでいう「要約力」は単に受験に役立つというだけのことではありません。
一度身につけた要約力は二度と落ちることはありません。
その力は一生ものなのです。
私の要約通信講座は主に受験での合格を目標とするものですが、大学生や社会人の
受講生もいます。
昨日も「文章を書くことを仕事にしています」という方から入会のお問い合わせが
ありました。
社会人からお問い合わせがあったときに、どうして受講してみようと思ったのを
うかがってみると、会社で企画書や報告書がうまく書けないという方が多いのは
もちろんですが、なかには会議の議事録をつくらないといけないのだがそれが
できず上司に怒られてばかり、このままではクビになってしまうという方もいました。
プレゼンのときにうまく要点がまとまらないという方もよくいます。
サラリーマンも要約力が必要だと感じ、せっぱつまっている方が多いように
感じました。
要約力は何も特殊なものではなく、私たちが日常生活で経験するものです。
たとえば、友人との日常会話を考えてもわかります。
相手が言おうとしていることは結局どういうことなのか、それを判断しないと
いけません。
テレビのニュースでいうと、たとえば記者会見があったとき、ライブでもないかぎり
ニュースに流れるのはその一部です。重要なところだけが切り取られます。
そしてそのつなぎ方が悪いとき、視聴者に誤解を生じさせ、情報を操作するために
恣意的に場面を切り取ってつなげたのではないかと疑われてしまいます。
多くの情報から重要な部分を抽出し、それを本来の内容と齟齬なくつなげなければ
なりません。
私たちがふだん発言するときもそうですね。
相手に何かを伝えようとするとき、まず自分の言いたいことがうまく頭の中で
まとまっていないといけません。
質問力というのもそれと同じでしょう。
質問をするとき、質問内容をクリアにしておかないと、要領を得ず、相手に
質問内容が正しく伝わりません。
もちろん、そういう点からでは「コミュニケーション力」ということもできますが、
結局「コミュニケーション力」も「要約力」によるところが大だということに
なります。
このように文章を読み取り、あるいは会話(発言)をしっかり聞き取って、
どこが要点なのかを判断し、それを論理的な文章に仕上げる「要約力」というのは
何も受験をひかえた小中学生にかぎったことではないことはおわかりでしょう。
これは大学生や社会人にとっても必要なスキルとなってくるのです。
そのような論理的思考力と要約力を身につけておくことはまさに一生の力を
身につけることになるのです。
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