■文章を「見る」から「読む」、そして「読み解く」のレベルへ
■文章を「見る」から「読む」、そして「読み解く」のレベルへ
「国語の読解問題」という言葉はごくふつうに使われます。
そうなのです、国語は「読解」=「読み解く」ということをしないといけない
のです。
文章を「見るだけ」「読むだけ」ではだめなのです。
では「読み解く」とはどういうことか?
わかりやすく自分の言葉に言い換えること。
具体例を思い浮かべていること。
自分の弟、妹がいたら、弟妹がわかるように説明できること。
このようなことができるのだったら、「読み解く」ことが出来ていると言える
でしょう。
よくあるのが、問いに対して、本文のなにやらむずかそうなところを抜き出して
おしまいにする子です。
私は、その答案を見ても聞いても意味がわからないので、それはどういうこと
なのかと本人にきくと、自分でも意味がわかっていません。
それを言っている(書いている)本人がわからないのだったら、他人がわかる
はずがありません。
そしてそんな答案が正解になるはずがありません。
これはよくあることなのですが、本文に答えさせているだけで、自分で考える
ことを放棄しているのです。
本文のその部分を自分なりに読み解いていないのです。
昨日、高校生の問題に次のような文章がありました。
ファシストが嫌いな「進歩的文化人」は、
なぜふつうの人がファシズムになだれこんでいくかを
考えつめたら、ファシズムが人間の弱さの
どの部分につけこんでいるかを理解して、
ついにはその処方箋まで考えることができるだろう。
質問はこの最後の行の「処方箋」とはどういうことかというものです。
文章は次のような内容です。
ファシストが嫌いな「進歩的文化人」は
ファシズム(独裁主義)というものについて徹底的に考え、
ファシズムが人間のどの部分につけこんでいるかを理解して、
最終的には【その処方箋】を考えることができる。
この「処方箋」を「処方箋」と「見るだけ」の子どももいれば、
これを「薬の種類や量などが書かれた書類」と「読むだけ」の生徒も
います。
ここで求められているのは、この「処方箋」を「ファシズムに対抗する手段」と
いうように「読み解く」ことなのです。
これが「国語の読解問題」なのです。
この「読み解く」ということが身についている子もいれば、まだまだ「読んで
いるだけ」「見ているだけ」の子もいます。
もちろん、「読み解く」ということが身についている子は、すでに国語は苦手
ではないはずです。
「読んでいるだけ」「見ているだけ」の子は今後、意識して「読み解く」ような
回路を脳につくっていくしかありません。
何度も同じ道を通っていれば、道なきところであっても、いつかそこが道に
なるはずです。
今回は、小中学生にはわかりにくい例だったかもしれないので、
次回はもっとわかりやすい例をあげますね。
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