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■国語学習の3本の柱 その1<常識と経験>

国語学習の3本の柱 その1<常識と経験>

国語学習の3本の柱、それは次の3つをあげました。

 1 漢字練習のときの意味調べ。
 2 要約文
 3 常識と経験

今回と次回の2回に分けて、「3 常識と経験」について説明します。

昨年12月ごろに、小学3年生の保護者から次のようなご質問・ご相談をいただき
ました。

  3年生の今から受験勉強を始めるのは早いのでしょうか。
  体験受講も4年生ぐらいになってからの方が良いのでしょうか?

これに対して私は次のように返信しました。

<ここから>

 本音でいえばそうですね。
 私は4年生の夏くらいからでもいいとおもっています。

 それまではいろんな常識を身につけたり、いろんな経験をしてほしいと
 思っています。

 これは机に向かってすることではないのでむずかしいことなのですが
 国語は生活すべてとかかわっているため、心と体の成長とともにいろんな
 経験をし、さまざまな常識を身につけないといけません。

 そのためにはどうしても時間がかかります。
 何かをやってすぐにどうこうなるというものではありません。

 そこに「精神的成長」なんていれたらますます今すぐにはどうしようも
 ないですよね。

 机にむかってする勉強以外のことが小学3年生くらいでしたら
 私は大切だと考えています。

<ここまで>

ただ、「いろんな経験をし、さまざまな常識を身につける」といっても、具体的に
どうしたらいいのかがわからないですよね。

経験について

たとえば、私が子どもの頃、私の父親は釣りが好きで、あちこち海や川に連れて
行ってもらったのですが、一方、山には縁がなく、登山というものをしたことが
ありませんでした。

そのため、大学に入って小説をよみあさるようになっても「山岳文学」はもうひとつ
理解ができないのです。イメージできないのです。

まず「稜線」というものを実際に見たことがないためよくわからず、国語辞典で
調べるのですがぴんときません。
今だったらネットで簡単に映像を見ることができますが、当時はそんなものはありません。

そこで私は、信州大学の山岳部に所属する友人がいたので、彼に喫茶店でそれに
ついて質問しました。

すると彼は何本かのストローやらフォークやらを立てて、その上にハンカチをかぶせ、
ここが稜線だ、ここだったら歩きやすいというようなことを教えてくれました。

このように経験がなかったら、どうも頭の中に絵を描けないのです。

※この「頭の中に絵を描く」ということはとっても大切ですよ。
 これについてはいずれ説明しますね。

いろんな経験をするというのはとても大切なのですが、だけど、このように
「経験をすべきだ」といっても、できないこともたくさんあります。
「入院の経験がないから入院しよう」なんてできませんよね。

私が若いときは、「ふられたことがないので、ふられた人の気持ちが本当には
わからない」なんて冗談半分に言っていましたが、その後は、だれよりもよ~く
わかるようになりました。

「常識」について

私がいつも挙げる例は、たしか私の2冊目の本に書いたような気がしますが、
つぎのようなものです。

 質問:日本にいるインド大使のことを何というか。
   (  )インド大使

 1 来日
 2 駐日
 3 在日
 4 滞日

 質問2:核兵器を持っている国を何というか。
    核(   )国

 1 所有
 2 保有
 3 国有
 4 私有

正解は質問1、質問2ともにもちろん2ですが、これは国語の勉強をしても
できるようにはならないのです。

このようにふだんの生活の中で身につけていかなけれなばいけないことが国語には
たくさんあります。

身の回りのさまざまなことに関心をもつようでないといけないのです。

次の文章はある受講生の保護者に送ったものです。

<ここから>

先日、4年生のスカイプ指導をしました。

てんぷら

その子への宿題は

1 てんぷらの「衣」とはなにか。
2 日本と韓国はどうしてもめているのかを親にきく。
3 キリスト協の教会の写真をネットで見る。
4 自分の家の宗教は何か。

この4つでした。

何一つ文章問題についての質問はありません。

どうですか?
1以外は「難しい」とか「うちの子にはまだ無理」なんて思っていないでしょうか?

そのようにいつまでも乳幼児のような扱いをしていると子どもの成長はありませんよ。

4については、日本人は無宗教の人が多いので「特になし」でもいいのです。
「お葬式はお坊さんにお経をあげてもらうから、いちおう仏教かな」という程度
でもOKです。
そこで、「世界三大宗教」を学ぶことができればいうことなしですが、それでも
「イスラム教なんて聞いたことがない」というレベルから、「聞いたことはある」
となるだけで進歩です。

お寺と神社の違いもわかっていない高校生だって多いのですから。

1は生徒自身の名前に「ころもへん」が使われていたため、部首の話から派生して、
「衣がえ」とはどんなものかという話になり、さらにそこから連想して「てんぷらの衣」
と出てきたのです。

ここから「とし問へば片手出す子や衣がへ」という俳句の話や、季語の話題へと
広げてもいいですね。
私の授業はいつもそんな感じです。

2は、現在の世の中(社会)のことに無関心ではだめだということです。
完全にわかるような話をくわしくする必要はありません。
そこまで求めると「親もわからない」となってしまいますから。
もちろん私もそんなにくわしくは知りません。
ざっと教えてあげればそれで十分です。

また、子ども自身で新聞の見出しくらいは見るようにしてくださいね。

3は、スカイプ指導のときの課題文に出てきた「聖歌隊」とはどんなものかを知らず、
イメージすることがまったくできていなかったために、国語辞典で調べてもらましたが、
言葉だけではわかりにくいので、ネットで調べてもらうことにしました。
キリスト教の教会も見たことがないというので。

とはいっても、ここがむずかしいところなのですが
実は見たことがあっても素通りしているだけということがよくあります。

生活すべてのちょっとした経験が国語力にかかわってくる

ある生徒(6年生)は、ガタピシいって開け閉めがスムーズにいかない窓
というものを見たことがないといいます。

本当に最近ではそんな窓はなくなって、今はスムーズに開閉できる窓しかないの
かもしれませんが、昔は、自宅の窓や学校の教室の窓でよくそういう経験をした
ものです。

そのときの、その6年生の問題文は、その窓のように思い通り、計算通りに
いかないことを解決する能力も必要ではないかというようなものでした。

なんでもできるようにしてあげると、「自分で解決する能力を奪ってしまう」
ということもあるし、微妙な力の入れ加減で窓はあいたりするが、その
ちょっとした「感覚」が実は大切なのだというような文章でした。

力をいれて開け閉めしようとするときはうまくいかず、ちょっと力を抜いたほうが
意外とあっさり動くということもあります。

大根をひっこぬくときにスポッとぬけて後ろにズドンとしりもちをつくというような経験。

塾で、ある生徒がお弁当の時に、ふたが開かないから開けてと言ってきたので、
野田先生が必死に力をいれて開けたその瞬間に弁当をひっくりかえしてしまった
という経験。

このように生活すべてのちょっとした経験が国語の文章にかかわってくるのです。

全部、どれも「経験がないからわからない」では国語はできるようにはなりません。

これらはこちらが意識してやれることではないので厄介ですが。

●食べ物から季節を感じる

さらに例を挙げますね。

たとえば、食べ物。

最近は野菜が一年中あったり、魚介類にしても冷凍ものがあったりして季節感がなくなっています。

すいかが夏のものだということくらいはだれでもわかるでしょうが、大根が冬のもの、キャベツが春のものだということを知らない子がほとんどです。

もう数年前のことですが、ある保護者が「うちの子が『春キャベツは甘い』なんて言っていた」とおどろき半分、うれしさ半分でいっていました。

魚にしても切り身や刺身になっていることが多いので
魚一匹をみてもアジなのかサバなのか、イワシなのかがわからない子が
多くいます。

「はらわたがにえくりかえる」の「はらわた」がわからない子がいたので
「さんまのはらわたを食べる人がいるよね」というと、その子は「さんま」も
知りませんでした。

国語でよく入試に出題されるのは、

 毎年2月4日ごろは立春といって暦のうえで春になるのだが、
 その前日は何の日か。

という問題です。

「豆まき」が行われる日のことを何というかだったらまだわかるかもしれませんが。

4年生まではこのような四季折々の日本の風物(植物もそうですね)に
ふれることが大切だと私は考えています。

国語の成績がどうこう言う前に、これは一生ものですからね。

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