■言葉を辞書的な意味に理解しておしまいにしてはいけません。
皮肉を言ったことも言われたこともない日本の「よい子」たち。
以前、ニュース番組で、新型コロナ患者の入院基準が変わったということで、
医師の倉持先生が、次のようなことをいっていました。
もうやっていることが無茶苦茶で、総理と都知事にはすぐに
お辞めいただきたい。
野党の政治家の常套文句ではありません。
新型コロナ感染者の治療にあっている医師の言葉です。
私はぎくっとして、ずいぶんはっきりいうなぁと感じたものです。
その倉持先生が、昨日、IOCが菅総理と小池都知事に最高勲章を授与したことに
ついて次のようにツイッターで投稿していました。
我田引水、私利私欲、鬱肉漏脯 うつにくろうほ
国民の健康と引き換えに、強引に開催したのだから当然!
おめでとうございます!
この言葉を、本当に「おめでとう」といっていると読む子が多くいます。
「だって『「おめでとうございます』って書いているんだから、そうでしょ?
いっしょに喜んであげているんでしょ?」と。
つまり、言葉の上っ面だけをみて、その裏側の思いまで考えることができないのです。
国語の苦手な生徒には多く見られることです。
たとえば、通信講座の問題に次のような話があります。
日本在住の長いドイツ人が書店で背中を向けている店主としばらく日本語で会話をしたのち、店主がふり返ると相手が外国人だったので、いすから転がり落ちんばかりに狼狽したというのです。
そして文章の冒頭でその外国人について次のように紹介しています。
日本語が「上手」という表現は彼にはあてはまらない。
この一文が「これはどういうことか」という問いになっているのです。
ア 彼は日本語を習っているが、いっこうに上達しない。
イ 彼の日本語は日本人とまちがうほどに上達している。
ウ 彼は日本語を習っていて、下手ではないがうまくもない。
エ 彼の日本語は日本人なみというわけにはいかない。
もちろん答えは「イ」ですが、これを
「上手」という表現は彼にはあてはまらないと書かれているんだから
「上手ではない=下手」ってことでしょ?
と考えて、アとかエを答える生徒がときどきいるのです。
もっとも日常会話で皮肉ばかりが飛び交う世の中なんていやですが、かといって、
表向きだけしかとらえられないのも問題ですよね。
「鬱肉漏脯」(うつにくろうほ)という四字熟語を知っていますか?
上の倉持先生のツイートには「鬱肉漏脯 うつにくろうほ」とありました。
私はこの言葉を知りませんでした。
そこでネットで調べると、
「鬱」は痛んで腐ること。
「漏」は腐って臭うこと。
「脯」は薄く切った干し肉、ほしじしのこと。
だそうです。
よって、この四字熟語の意味は
1 腐って臭い肉のこと。
2 (空腹を満たすために腐った肉を食べるという意味から)
先のことは考えずにその場をやり過ごすこと。
とのことでした。
国語で大切なのは、倉持先生は具体的にどんなことをイメージして、この言葉を
使っているのかということです。
この言葉の意味1と2のうち、1で考えようとするのは論外ですが、2にある
「先のことは考えずにその場をやり過ごすこと」とは、具体的にどんなことを
念頭にこの言葉を使っているのかを考えることが大切なのです。
もちろん、オリンピックを開催したらコロナ感染者が爆発的に増えて、
日本の医療崩壊につながりかねないのに、そこまで考えずに、目先の
利害によってオリンピックを開催したことをいっています。
「先のことは考えずにその場をやり過ごす」という辞書的な言葉を理解しておしまいに
するのではなくて、ここから実際には具体的にどんなことをイメージしているのかを
考えることが国語では大切ですよ。
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