■要約力を鍛えるとどんな子でも本物の国語力が身につく
国語の力を短期間でつけるには要約文が最適です。
というより、要約文以外に短期間で国語力をアップさせる方法はありません。
その実例は、「高2の彼女がわずか8か月間で駿台模試の偏差値を35から70にアップさせた方法」に
くわしく書きました。。
効果てきめんだが、誰もがいやがる要約文
しかし、このように国語力アップにはこれしかないといってもいいくらいの要約文ですが、いざ生徒に書いてもらおうとするとたいていの生徒はいやがります。
なぜそんなに要約文は嫌われるのでしょう。
その原因はズバリ、「面倒だから」です。
「考えないといけないから」「頭を使わなければいけないから」です。
国語を苦手としている子はその考えることを避けようとしてしまうのです。
そして安易な選択肢の記号問題や書き抜き問題ばかりに走ってしまいます。
それでは、いつまでも直感に頼るようなもので本当の学力はつきません。
《指導者の有無》
この「要約文」は「国語力を伸ばす3本の柱」の一つですが、これを3ヶ月続け、
それを添削する適当な指導者がいたならば間違いなく国語力はメキメキついていきます。
正しく本文に即して要約文が書けているかどうかを見てもらうことのできない独習者はその点やや時間がかかり、不利なのは否めませんが、小学生では保護者が見てあげればそれで充分だと思います。
高校生はもちろんのこと、中学生でも早慶などの上位レベルになると文章は難しく、どこをポイントとして書くべきなのかが生徒はなかなか分かりませんし、また親もどこをどのように指導すべきかが難しくなってくるため、やはり専門の先生に指導してもらった方が実力伸張のスピードは速くなるでしょう。
《 大学入試でも 》
難関高校を目指す中学生は2次試験で作文が課されることがありますが、その内容は評論を読んで主題を的確につかみ、それに対する感想を書くという形式が多いように思います。
また大学受験(推薦入試)では、入学志願書などの提出書類の中に、志望動機などと同じように、ある一冊の書物を指定され、それを「要約してあなたの考えを書きなさい」という形式のものが増えています。
また合格後の課題として同様のものが課されることもあります。
最近では大学生や、社会に出て数年の若い人たちの文章要約力のなさが嘆かれることも頻繁です。
私の通信講座でも常に社会人の受講生が在籍しています。
何を要約文するか
まず、何を要約すればいいかということから述べていくこととします。
小学生から高校生までそれは共通しています。
「問題集」です。
あるいは塾に通っている子であればそこで使われている「テキスト」でもいいでしょう。
受験学年であれば入試問題集が適当だと思いますが、受験レベルの問題は難しすぎて・・・という方は(実際は問題文の選びかた次第でなんとかなるものなのですが)学年を一つ下げてもかまいません。中3の生徒が中2の時のテキストを使うという具合にです。
《まずは口頭で》
小学生は「物語」のあらすじから始めることをお勧めします。
ただし、もうどうしようもないほどに国語が苦手だと思われるような子であれば、その際はいきなり「書く」のではなく、まず口頭でわかりやすく物語の内容を「説明する(お話しする)」段階から始めるといいでしょう。
私のLINE(スカイプ)指導でも、ほとんどが本文はどんな内容だったのかということを言ってもらうことから始めます。
本文が本当にわかっていれば物語の中でどんなことがあったかのは説明できるはずです。
それは実際に自分が見聞したことを話すように、また、昨日見たテレビ番組の内容を話すようにです。
しかし、国語の苦手な生徒はまずこれができません。
《 助詞「て」でつなげない 》
あらすじを言ってもらうときに注意していただきたいことは、「~て、~て、~て」と「て」ばかりで話を続けようとしているかどうかです。
最初はこれに注意して話を聞いてみてください。
ほとんどの子は「て」でつなげると思います。(作家の清水義範氏はこれを「してして文」と名付けていました)
たとえば、「大林君が大きな木に登ろうとして、みんなから手ぬぐいをもらって、それを結んで、長い帯のようにして、木に巻きつけて・・・・・・。」というように「~て、~て」をつなげるというやり方です。
何度目かになると、「今度はなるべく『て』ばかりでつなげないで言ってみよう。」と指導してみてください。
これは私たち大人でも意識すると意外に難しいものですから、できなくてもかまいません。
とにかく「て」を連発しないことを少しでも子どもの頭に意識させることが出来ればそれで充分です。
あまりこれを意識しすぎると今度は「て」を使うべきところでも無理に「て」を避けようとしてかえって変な日本語になってしまうのですが、それでもかまいません。
なぜなら仮にそれが変な日本語であってもそのように言った時、子どもの頭の中では「て」の繰り返しを避けることを明確に意識しているからです。
そのようなことを子供の潜在意識深くに沈み込ませておくと後にあらすじを書く時、思わず「て」を連発していることに子供は自分で気づき、推敲し自分で直せるようになります。
《論説文の要約文にチャレンジしよう》
小学生は物語のあらすじだけでも十分なのですが、それができるようになった余裕のある子はさらに上を目指して、随筆や論説文の要約をやってみるのもいいでしょう(理科的な解説文は避けた方が賢明です)。
ただし繰り返しますが、それはあくまでも余裕のある子だけがやれることであって、国語を苦手としている子はそこまでやる必要はありませんし、そこまでやらなくても中学受験に必要な国語力はつきますので心配ご無用です。
中高生は最初から論説文を要約するようにしてください。
一冊の問題集があれば要約しやすいものも、しにくいものもありますので自分でやれそうだと思うものをやっていけばいいでしょう。
難しすぎるものを無理してやる必要はありません。
指導者がいる場合は、最初は指導者に要約しやいようなものを選んでもらうといいでしょう。
中高生の場合、問題集選びのポイントは論説文の数ということになります。
一冊のページ数はかなりあっても知識分野や韻文、あるいは古文などに多くのページを充てているために、論説文は5題程度しかないというような問題集を購入すると結局読まない部分がほとんどで無駄が多くなってしまいます。
(近年は著作権の関係から文章問題の載っている問題集は少なくなっていますが)
問題文のレベルは各自のレベルに合わせて、1つ下の学年のものを使ってもかまわないということは前述したとおりです。
国語という教科は学年の境界がほとんどありませんので、高校生が中学生の文章を要約してもかまいません。
私立高校の入試問題の文章はかなり難解なものも出題されていますので、一般の大学入試用問題よりもレベルが上ということもよくあります。
中学生の場合、概して各県立(国立を除く公立)高校の入試問題は文章の長さも難易度も標準的ですので、実力レベルに関係なく誰でも大いに利用価値はあると思います。
《さぁ、書いてみよう》
では、それをどのように書くか。私はほとんど制約もつけず自由に書いてもらっています。強いてあげれば次の2点でしょうか。
(1)長さ 小学生の物語文→600~800字
中高生の論説文→200~400字
(2)週に2つ
(1)の長さについては、小学生の場合まずとにかく書くことが大切ですので、字数不足や字数オーバーは大目に見て、自由に書いてもらいます。
また、読んだ文章の長短や内容によって、要約文(あらすじ)も長くなったり短くなったりしますので、書くことに意味があると考え、一切字数制限はなしとしてもいいくらいです。
中高生の場合、100字では本文最後の結論だけを書き写すと終わってしまいますので、100字要約には私は反対です。
200字を一応の目途とし、長い場合は400字程度で書いてもらっています。
(2)1週間に2つできればいいペースですが、まだ要約文学習をはじめて数か月という段階では、週に1問程度でも十分です。
最初から飛ばしすぎて早々と息切れしてしまっては元も子もありませんから、私は1週間に1~2つのペースが理想的、できなければ、もっと少なくてもかまわないというくらいの気持ちでとにかく継続してください。
私が直接に指導している子の場合、たいていは書き直してもらう箇所がありますので、自然に1週間に1問程度になっているかもしれませんが、ペースが早いか遅いかはあまり神経質に考えないようにしましょう。
何よりもたいせつなことはその学習法を絶対に続けることですから。
たとえば仮に2ヶ月続けたとしても中高生の場合、定期試験がありますのでそこで10日間ほど空白の日を作ってしまうとまた振り出しに戻ってしまい、1からやり直しになってしまうと思ってください。(実際にそうなるわけではありませんが)
「継続は力なり」です。
《設問は無視》
問題集には当然設問が用意されていて、なかには詳しい解答解説のついているものもありますが、設問は一切解く必要はありません。
国語を苦手としている生徒は本文をまともに読みこまず、この設問だけをやろうとしているため正解にたどり着かないというケースがほとんどなのです。
まず本文のポイントをしっかりとつかめば、自然と正解は出てくるのです。
ですから、性急に自分の答案が合っているかどうかということには気をとられず、まずはじっくりと「本物の読解力をつける」ことから始めましょう。
《大切なところはどこか》
私の元同僚で、次のように言っていた人がいます。
「論説文なんか読んでると、いかにもいかにもというようなクサイ言葉が出てくるよね。あの、設問の答としてそのまま使えそうなやつ。あんなのは時々そこの語句だけがまわりの字よりも浮き出て見えたりするでしょ? そこだけ太字で見えたりもするよね。」
本当に浮き出て見えたり太字で見えたりするのなら、それは目の病気だろうと思うのですが、言いたいことはわかっていただけるのではないかと思います。
ここでいう「クサイ言葉」というのが文章のキーワードとなる言葉のことです。
当たり前のことですが、文章には大切な部分とそうでない部分があり、その大切な部分だけをしっかり押さえていけば、文章は正しく読みとれたことになりますし、設問に対しても容易に正解を求めることができます。
しかし、国語を苦手としている子の多くは、それができないのです。
どこが大切なのかがわからないからです。わからないだけならまだしも、場合によっては大切な部分がかすんで見えたり、あるいは見落としてしまうほどの極小の文字になったりということがあるのではないかと疑われるほどです。
要約文を書く作業というのは、まずその大切な部分を見つける作業から始まります。それができるようになれば、もう道半ばといっても過言ではありません。
ほとんどの子はそれが見つからず、些末なところにばかり引っかかっているのですから。
たとえば、次のような例を思い浮かべてください。
パソコンを買おうかなと思い、パソコンショップに行きました。
何機種か見た後、あるパソコンが気に入りました。
金額は、198,763円。
しかし、高額のため、すぐに買うことは控え、ひとまずカタログだけをもらって帰宅します。
自宅にもどった後も、どうしようかなぁと考え続けています。
思い切って買うか、それとも今回はやめておくか。
しかし、正確な金額はメモをしていないため忘れています。
このとき、どの数字を忘れていると思いますか?
あるいは、これを読んだあなたは先ほどのパソコンの値段を正確に覚えていますか?
うろ覚えなのではないでしょうか?
しかし、忘れてもいい数字と、まず忘れないだろうという数字があるのです。
それは言うまでもないことですが、最後の1円の位は忘れても構わないでしょう。
10円の位も、あるいは100円の位もあいまいで構いません。
しかし、最初の数字、10万の位はどう考えてもうろ覚えではまずいでしょう。
「う~ん、いくらだったかなぁ・・・。10万だったかなぁ、30万だったかなぁ。もしかすると70万だった?」などということはまずありえないでしょう。
次に大切なのは、1万の単位。
19万円か13万円かでは、えらい違いです!!
というように、忘れてはいけない大切な部分と、うろ覚えでもかまわない部分とがあるのです。
物語でいえば、小学生がよく文章を読んだ後に、あらすじを言おうとする際、一生懸命に思い出そうとするのは、登場人物の名前です。
ケンタくんであろうが、ケンジくんであろうが、そんなもの、どうでもいいいのに。
そんなことよりも、もっと大切な部分、忘れてはいけない部分があったはずです。
そのような見分けがつくようになれば、「国語の苦手な子」はすでに脱出しているでしょう。
《書くときの注意点》
さて、それでは次に実際に書く時、どのようなことに注意すればいいのかということに移ります。
「誤字脱字をなくす」などの細かい点はもちろんあるのですが、それより大切なポイントは以下の2点です。
(1)「ねじれ」をなくす
(2)自分の言葉でまとめる
《僕は犬が走る》
「僕は犬が走る。」と聞くとだれしも変な文だと思うでしょう。この文の場合「僕は」という主語に対応する述語がありません。
また、「僕は庭に赤い花を踏んづけてしまった。」という文ではどうでしょう。
この場合は、「庭に」が修飾していく部分がおちつきません。
このように主語・述語あるいは修飾語・被修飾語の対応関係がくずれているものを「文のねじれ」といいますが、まずはこの「ねじれ」をなくすことから始めましょう。
「ねじれ」があるうちは偏差値は50を越えません。40台半ばをうろうろするのがせいぜいでしょう。
この「僕は犬が走る」という例文を見ると、「こんな文章を書くはずがない。」とほとんどの方が思われるでしょう。
大人であれば確かにそうかもしれません。しかしこの場合は文字数にしてわずか6文字です。実際にあらすじや要約文を書いてみるとわかりますが、こんなに簡単で短い文はまずありません。もっと文は長く複雑難解になってきます。そうするとどうしても「文のねじれ」は出てきてしまうのです。
小学6年生の書いた例を一つ挙げます。
日本は自分の個人的立場から何ごとかを語るということを、
日本の風土は徹底的に排除している。
どうでしょう。大人はすぐに変だとわかるでしょう。
しかし、子どもはなかなかそれに気づかないのです。
この文では「日本は」という主語があるにもかかわらず、述語(「排除している」)が遠いため、途中にまた「日本の風土は」という主語を入れてしまっているのです。
つまり、主語が2つに述語が一つ、つまり「僕は、犬が走る」と同じなのです。
もし、小学5、6年生のお子さんがいれば、この文がおかしいかどうかを是非尋ねてみてください。
変な文だとすぐに気づき、正しく直せるようであれば、その子は国語を苦手としているどころか、おそらく得意としているのではないでしょうか。
《自分の言葉でまとめる》
「ねじれ」と並んで大切なのが、この「自分の言葉でまとめる」ということです。国語の苦手な子はこれをしないで次のようなことをする傾向にあります。
(1)ただ文章の前半から順に大切そうなところを書き写す。
(2)文に流れがなく、一文一文が途切れている。
(3)自分でも意味は分からないが本文に書いてあったからとにかく書き写す。
論説文の要約では、ある一つの結論にむかって文章が流れるように書くべきです。
文章が一文一文途切れ、前文とのつながりのない書き方は避けなければなりません。
もし、そのようになってしまうのなら、その原因は上記(1)や(3)にあります。
また、結論が不明確で、結局のところ何をいいたいのかわからない要約文になってしまう原因も同じです。
まずは正しく本文を読みとり、自分なりに解釈して頭の中でコンパクトにまとめなければなりません。
しかし、それをせずにただなんとなく大切そうなところだけを本文の最初から順に抜粋して書き写すと、書いている本人も何を言いたいのかわからないようなものになり、要約文を書く意味がありません。
ここで、求められているのは自分の頭で考えることです。あくまでもノートに書いているのは自分の文章なのだということです。
もし、これが話し言葉だったらどうでしょう。つまり、しゃべっていることが、そのしゃべっている本人にもわからないなどということがあるでしょうか。
「それを取ってください。」と他人に言っておきながら、言っている本人にも「それ」というのが何を指しているのかわかっていないなどということはまずないはずです。
ところが要約文では多くの生徒がそのようなことをやってしまいます。自分の書いた「それ」という指示語が何を指しているのか自分でもわからないまま書いてしまうことがあるのです。
なぜなら、本当の自分の文章として書いていないからです。内容がわからないままただ書き写しているのです。
要約文では、書き写すのではなく、「自分の文章を書く」という意識が必要なのです。
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